晴耕雨読のリタイアしてみました

2017年、53歳の時に完全リタイア生活をスタートしました。

畑と図書館と折れ線グラフ

今日はダイコンを抜きに畑に行ってきた。嫁が雨雲レーダーを調べたら午後に降りそうとの事だったので、午前中に活動開始。しかし道中から雪雲が入り込んできたようで、降りだし、畑に到着時にはちょっとした吹雪に。急いでダイコンを抜いて退散したがダイコンも冷えていて、車に戻るちょっとした間にも2本のダイコンをにぎった両手指先はキンキンに凍えてしまった。はあ~ホント寒かった。


次にその足で図書館へ。実は自分の住む町に図書館はない。田舎の文化レベルの低い町である。あるのは公民館の図書室のみ。したがって読みたいと思った本がほぼ揃わない。仕方がないので先日、隣町の図書館へ行ってカードを作った。隣町は政令指定都市なので大きい図書のネットワークが構築されていてほかの図書館の蔵書も取り寄せてもらえる。ネットで取り寄せを申し込んでいた本が届いたとのメールが昨日来たので、本当は散歩を兼ねて今日歩いていこうと思っていたが、こんな天気なので車で行くことにした。借りたのは、「唯脳論」と「動きすぎてはいけない」。猫さんに教えて頂いた本である。早速養老さんの本から読み始めてみた。まだはじめだが、かなりおもしろい。

”現代とは、要するに脳の時代である。情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。脳は、典型的な情報機関だからである。
都会とは、要するに脳の産物である。あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり脳の産物に他ならない。都会では、人工物以外のものを見かけることは困難である。そこでは自然、すなわち植物や地面ですら、人為的に、すなわち脳によって配置される。われわれの遠い先祖は、自然の洞窟に住んでいた。まさしく「自然の中に」住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む。
われわれは、自然という現実を無視し、脳という御伽噺の世界に住むことにより、自然から自己を解放した。現在そのわれわれを捕えているのは、現実と化した脳である。脳がもはや夢想ではなく現実である以上、われわれはそれに直面せざるを得ない。そこからわれわれが解放されるか否か、それは私の知ったことではない。”
 養老孟子 「唯脳論


グラフは1306と銀行の低位の折れ線を最新Dataを追加して見比べてみた。
イメージ 1
1306

イメージ 2
銀行

今回、半値押しの1306に対して8303はほぼ全値押しになっていた。落ち始めのタイミングも違っている。