晴耕雨読のリタイアしてみました

2017年、53歳の時に完全リタイア生活をスタートしました。

愚か者の税金

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愚か者の税金とも呼ばれている宝くじ、20代の頃はよく買っていた。自分はついている、自分は違うんだ!と勝手な思い込みで当たらないはずがないと買っていた。その頃は関西に住んでいたので、御堂筋のチャンスセンターまでわざわざ買いに行ったりしたりもしていた。マージャンで勝った軍資金の1万5千円を突っ込んだりもしたが、あたりまえだが全くだった。

マージャンといえばこれもよくやっていた。その頃は研究所勤めだったので、バブルの頃に流行りで導入されたフレックスタイムというものがあって、コアタイム終わりの午後3時に仕事を上がって阪神尼崎駅前の雀荘に直行、閉店まで打ったり、時には閉店で店の人が帰ったあとも打たせてもらって、朝明るくなったころに店の電気を消して戸締りして帰るなんてこともあった。会社に入って結婚するまでの4年間は独身寮に入っていて、週末は毎晩テツマン、そのうちに平日も打つようになったがその頃のルールは23時を過ぎて次の半チャンには入らないだった。平日、人が集まらないときは3人マージャンの”サンマ”さらにひどい時は先輩と2人で”ニマ”なんてのもしてみたが、なんじゃそりゃの世界だった。週末のマージャンはインフレが進むと4人いてもギャンブル性を求めてサンマが人気だった。寮の勝ち負けは半期の決算制で結果をノートに残しておいてボーナスでの精算、最高に負けた人は30万だった。

社内旅行で日本海の香住に1泊で松葉ガニを食べに行くというものがあって、旅行代金が3万円でマージャンの負けが2万円、1泊2日が5万円の旅行になってしまったときはさすがにへこんで、も~マージャンはやめた!と宣言してみたが、結果は田代まさしと同じだった。

30歳を過ぎたころから少し賢くなってきて、愚か者の税金を買うのはやめて、マージャンで得たあぶく銭も物に変えることを学んで、最後はママチャリを買ったのを覚えている。

若い時に一通りやんちゃをして勉強代を払って少しは賢くなったのだろうか?

まあ、その先に今の自分がいる。