晴耕雨読のリタイアしてみました

2017年、53歳の時に完全リタイア生活をスタートしました。

潔く辞める

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1年前の娘の卒業式@高雄

ハルトモさんがストレスと健康とリタイアのことを書かれていたので、その流れでじゃあ自分は?を書いてみたいと思う。

自分にとって仕事とは生活の糧を得る手段であって、仕事による自己実現とか出世欲とかは全くなかった。糧を得られれば良いわけで、仕事以外にも副業の不動産賃貸からの収入が給料に近いくらいあったので、辞めようと思えばいつでも辞められる状況にはあったと思っている。

じゃあ何故1年前のタイミングであったかと言うと、きっかけは2つ。
1つは娘がHigh schoolを卒業して大学への進学も決まりある程度の金銭的なめどがついたこと。2つ目はその年の頭に不動産を売却して金銭的に確定したものが見えたこと。つまり流動的ではない金銭的な目途がついたからである。

ストレスの原因は会社と馬が合わなかったの一言に尽きる。新人事制度と言う名の固定費削減策が幾度か実施され成果主義による労働強化・ラットレースがどんどん加速されていった。その反面、会社の規定は役員上層部に上納金が吸い上げられるシステムを完備。この夏はボーナスが260万以上出たとニュースになっていたが上層部は合計で44億もらったというから開いた口が塞がらない。好景気により普段より100万ちょっと多くボーナスが出たといってもたったそれ位で私はしっぽを振らないし辞めたことを全く後悔もしていない。1億あったら100万なんて1%、2億あったらたった0.5%の金額である。ましてや不景気になると業績連動だからボーナスは寸志と化すのも知っている。それでもみんな残業上限の80時間ぎりぎりまで成果を出すために頑張って働く。自分は死に物狂いで糧を得るために頑張る必要もなかったので、辞める前の2年くらいは残業ゼロ・有給完全消化を実践していた。会社組織は嫌いだが仕事の内容は好きだったので、現場の仲間とは楽しくやって居られたのが救いだった。

追い詰められた時に逃げ道があるかないかは、人生を大きく左右する。成果主義のぎすぎすしたシステムでここ数年で2人が自ら命を絶った職場だった。若い方には将来投資するための原資となる雪だるまの芯となるお金をまずはこつこつと貯めることから始めることをお勧めする。自分は結婚して初めてのボーナスを100%社内預金して妻にヒンシュクを買った変人だったが、その十数年後にマンション1棟のオーナーになれた。コツコツためたお金で次の不景気の時に投資できる状況を作ればいいかと思う。

今週末は高校の同窓会に出席のため上京する予定だ。30年ぶりに合う仲間、楽しみである。

練習
1570
 7/3  -5  19140
 7/5  -5  18790
 7/13 10- 20050